「アマチュア無線」開局42周年*を記念してBlogを立ち上げました。( *2023年現在 )
無線人生の「始まり」と「経緯」~「現在」の記録を紹介しながら、今まで携わった無線技術を紹介するBlogです。
ヒーローの小型無線機への憧れ
昔のヒーローは、無線機器を使って「隊員同士の会話」や「ロボットの操縦」を行っていた。
小型無線機は、当時のアニメ や 特撮でよく登場していたが、そのカッコいい見た目と、高性能な機能に当時の少年たちは夢中になった。
テレビ番組で放映された「ジャイアントロボ」 は 腕時計型マイク(無線機)使い、草間大作少年が操縦しした。
今の「ウェアラブル端末」「音声認識」「小型無線通信機器」の技術を集めたような画期的アイテムである。
50年以上前に登場した便利な腕時計型アイテム。。。
いやいや、Apple Watch じゃないですか? 当時の特撮に出てくる夢のアイテムが、この後に本当に実現するなど当時の少年には知る余地もない。
アマチュア無線ブームは小学生時代
1970年代に「アマチュア無線」が、小学生の間でもブームになった。
アマチュア無線家のことをハム(HAM)と言い、アマチュア無線は、キンク・オブ・ホビー「KING OF HOBBY」=「趣味の王様」と言われた。
小学生が小さいときに憧れた「小型無線機の世界」が実現する、わくわく感で夢が広がった。
アマチュア無線の歴史(抜粋)
日本では、1958年(昭和33年)11月に電信級・電話級の初級資格が創設された。1966年(昭和41年)にはその養成課程講習会制度が導入され、修了試験に合格すれば資格が与えられるようになった。
こうして入門のハードルが低くなったためにアマチュア無線家の爆発的な増加をもたらした。その後、高度経済成長と、科学技術に対する国民の高い関心を背景として、1970年代半ばには米国を抜いて、世界一のアマチュア無線人口を擁するに至った。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
試験は難しく、機材は高価
アマチュア無線家にはなれなかった。
資格を取得するための試験は専門知識が必要で小学生には難しく、開局の機材も高額であることを知った。
簡単には無線家にはなれなかったが、それゆえにさらに夢は広がり 情報を収集する欲求が当時は凄かった。
短波 / BCLラジオを聞くブームもあった。通信はできなかったが、海外などの放送を聞くことにより「QSLカード」を貰えることを知った。
祖父が「短波ラジオ」を所有していた。孫の俺に貸してくれた。雑音は凄かったが放送をワクワクしながら聞いた記憶は今も忘れない。
放送局にチューニングに夢中になった。
CB無線で夢が叶う
数年が経過した頃だろうか、友人が 「CB無線」を貸してくれた。
CB無線とは、一般の人が誰でも自由に使用できる無線通信の事です。アマチュア無線に似た運用が行われており、免許は不要である。
「CB無線」のような 高価な機材を購入出来るのは裕福な家庭だけだった。
トランシーバーは当然2台購入して通信するわけで、友達から我が家に1台が貸し出された。
その日から毎日交信するようになった。
「夜中に」自宅に居ながらにして お友達と無線機器を使って会話ができるわけである。
いまでは当たり前のスマートフォンよるお友達との会話。
夢が叶った少年は夢中で毎晩交信を楽しんだ。
アマチュア無線技士を受験
時代は巡り、とつぜん高校生時代の話になる。
電気を学ぶ高校に進学した少年は、昔憧れだった「アマチュア無線家」の夢が叶う事になる。
アマチュア無線の交信を始めるには「アマチュア無線技士の資格」を取得する必要があります。
アマチュア無線技士は国家試験であり、資格に応じた受験対策をして試験に合格する必要する必要があります。
無線技士と出力可能な空中線電力
- 第一級アマチュア無線技士
- 第二級アマチュア無線技士 空中線電力 200W以下
- 第三級アマチュア無線技士 空中線電力 50W以下 (詳細の規定有り)
- 第四級アマチュア無線技士 空中線電力 10w以下 (詳細の規定有り)
出力が大きいほど遠くの人と繋がる確率は上がるが、試験は当然難しくなります。
当然初心者は4アマ受験からスタートである。
問題集を見せてもらったが、難しいと思われていた国家試験。。。「無線工学と法規」。。。意外と簡単かな。
なんとか頑張れば合格できすである。 挑戦が始まった。
見事「アマチュア無線技士」に合格
国家試験 受験の申請。
緊張の「受験」
見事合格!
「アマチュア無線従事者免許」を申請しました。
開局のため「アマチュア無線局免許」を申請するときには、実際に使用する無線機の用意が必要です。
無線機器を友人が貸してくれた!
人生初の無線機はハンディートランシーバーの
「ナショナル 松下 RJX-601 6mAM/FMハンディトランシーバー」
開局申請も無事通過! 当時すでに 6mで AM / FM は衰退していたが、念願の開局!今でも覚えている。
次に友人が貸してくれたのが
ナショナル 松下 RJX-610(NATIONAL 6m SSB/CW TRANSCEIVER)
無線局免許状の変更手続きを行った。
当時は、技術基準適合証明設備の登録制度も無かったし、申請書には手書きの送信系統図「工事設計書」が必要だったりして、申請手続きは結構大変であった。
人生初 の DX通信
アマチュア無線の交信が、子供の頃からの夢であった少年は、日々の交信に夢中になりました。
当時、太陽の活動が活発な時期で、頻繁にスポラディックE層が発生していました。
海外との通信など夢のまた夢と思っていましたが、ある移動運用で DX通信 に成功した。
当時のQSLカードを紛失してしまい、詳細の記憶が薄れているが
DX交信を実現した環境は、
リグ RJX-610 で 単一9本の移動運用。出力は5Wでアンテナは内蔵ロッドアンテナでの交信だったと記憶している。
アルバイトをしてHF機を購入
一年間アルバイトして、HF機 YAESU FT-101 を購入した。
コンテスト、移動通信
アマチュア無線クラブに属し、コンテストや移動通信に夢中になる。
社会人になって
スタンダードの2mハンディーリグを購入する。
本格運用
V/UHF帯 オールモードトライバンダー YAESU 八重洲無線 FT-726 を購入する。
探求は続く
最近は、WIRES(ワイヤーズ)を開局する。
まとめ
続く。。。